岐阜新聞の投稿記事「時言」に色覚の多様性・CUDOに関わる記事が掲載されましたので紹介します。

 


「時言」~投稿記事~

もう50年も前のこと。小学校入学前の児童が対象の健康診断だったと思う。椅子に座ると、丸い点が沢山並ぶ多色刷りの本を見せられた。石原式色覚検査表。点の集合の中に浮き出る数字を読み取り、色覚に「異常」がないかどうかを調べるあの検査だ。
初めは読むことができたが、やがて判断できないページが出てきた。付き添いの母に「何で分からないの」と責められるが、どうしようもない。気がつくと、私の後ろには検査順番を待つ長い行列ができていた。判定は「赤緑色弱」。以来、色に対する恐れがすみ着いた。
絵を描いたり服を選んだりするとき、潜んでいた恐れが頭をもたげ、自信を持てないことがあった。しかし、生活上の支障を感じたことはなく「色覚異常」とか「色覚障害」という呼び方に強い抵抗を感じていた。

先日、横浜市内で「こころの色展」と題する展示会を見た。色弱の人の見え方と「正常」な色覚の人の見え方を再現したパネルを見比べて、みんなに分かりやすい色使いの必要性を理解してもらおうという企画だ。
協力団体のNPO法人カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)によると、日本には先天的名色弱の人が320万人もいる。…省略…

だが、CUDOは正常か異常かという分け方はしていない。色の感じ方の違いを色覚タイプの多様性ととらえ、多数を占めるタイプの人を「一般色覚者」、それ以外を「色弱者」と呼ぶことを提唱している。

この社会は多数派の基準に合わせない者に「異常」のレッテルを貼りがちだ。でも、違いを多様性と考える柔らかな心があれば、もっと生きやすいものになる。