明日のために働くとういこと

独自の識別法、バリアフリーへ

生まれながらにある色覚障害がヒントになり、「色覚バリアフリー」「カラーユニバーサルデザイン」といった考えを生み出した。

岡部正隆。45歳、東京慈恵会医大(港区)で解剖学教授を務める。幼いとき、赤い包みを紙に入ったチョコを食べたいのに、決まってキャラメル入りの緑の包み紙をつかんでいた。母は察した。祖父が色覚障害だったからだ。開業医の父は「医学部では苦労するよ」と反対したが、医師の道を選んだ。

医学部時代の実習。周りの学生とは見え方がまるで違う。染色した組織標本を顕微鏡で観察することすら難儀だった。「ピンク」「青」と説明酢yるが識別できない・

どうやって、目の前の物を理解し、相手に伝えればよいか。例えば、対象の形の違いに着目する。色で区別する人と違う視点に立つ。オリジナルの識別法を編み出した。

だが、悩みは尽きない。学会で使い赤のレーザーポインターが見づらい。カラフルに色分けされた図版が理解できない。「どんな敗色だったら見分けられるか」。同じ境遇の研究者と共に、科学者に向けた色覚バリアフリーを訴えた。

2003年に小学校の色覚検査が中止された。「気づかずに成長して進学や就職でつまづく学生がでてくるのではないか」。翌04年、岡部らはNPO法人「カラーユニバーサルデザイン機構」を立ち上げる。目指すのは、多様な色覚に対応できるし色彩環境や社会づくりだ。岡部らの考えは、空港案内図、地下鉄路線図、ごみ収集カレンダー、教科書、銀行通帳など、企業や自治体で採用されていった。

「先生、色がよくわからなくて、細胞が区別できません。」色覚障害に悩む学生が尋ねてくる。

「よく見てごらん。形が異なる。色に頼らなくても識別できるんだよ」独自の識別方法は脈々と受け継がれる。